巻次 本 514頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 また言わく、「必得超絶去 往生安養国 横截五悪趣 悪趣自然閉 昇道無窮極 易往而無人 其国不逆違 自然之所牽」(大経)抄出 「必得超絶去 往生安養国」というは、必はかならずという。かならずというはさだまりぬというこころなり。また自然というこころなり。得はえたりという。超はこえてという。絶はたちすてはなる、という。去はすつという、ゆくという、さるというなり。娑婆世界をたちすてて、流転生死をこえはなれてゆきさるというなり。安養浄土に往生をうべしとなり。安養というは弥陀をほめたてまつるみこととみえたり。すなわち安楽浄土なり。「横截五悪趣 悪趣自然閉」というは、横は、よこさまという。よこさまというは、如来の願力を信ずるゆえに行者のはからいにあらず。五悪趣を自然にたちすて、四生をはなるるを横という。他力ともうすなり。これを横超というなり。横は竪に対することばなり。超は迂に対することばなり。竪はたたざま、迂はめぐるとなり。竪と迂とは自力聖道のこころなり。横超はすなわち他力真宗の本意なり。截というは、きるという。五悪趣のきずなをよこさまにきるなり。「悪趣自然閉」というは、願力に帰命すれば、五道生死をとずるゆえに自然閉という。閉はとずというなり。本願の業因にひかれて、自然にうまるるなり。「昇道無窮極」というは、昇はのぼるという。のぼるというは、無上涅槃にいたる。これを昇というなり。道は大涅槃道なり。無窮極というはきわまりなしとなり。「易往而無人」というは、易往はゆきやすしとなり。本願力に乗ずれば、本願の実報土にうまるること、うたがいなければゆきやすきなり。無人というは、ひとなしという。人なしというは、真実信心の人は、ありがたきゆえに、実報土にうまるる人まれなりとなり。しか 紙面画像を印刷 前のページ p514 次のページ 第二版p629・630へ このページの先頭に戻る