巻次 - 747頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 正信偈大意 そもそも、この『正信偈』というは、句のかず百二十、行のかず六十なり。これは三朝高祖の解釈により、ほぼ一宗大綱の要義をのべましましけり。この『偈』のはじめ「帰命」というより「無過斯」というにいたるまで、四十四句、二十二行なり。これは『大経』のこころなり。「印度」已下の四句は、総じて三朝の祖師、浄土の教をあらわすこころを標したまえり。また「釈迦」というより『偈』のおわるまでは、これ七高祖の讃のこころなり。 問うていわく、『正信偈』というは、これはいずれの義ぞや。 こたえていわく、「正」というは、傍に対し、邪に対し、雑に対することばなり。「信」というは、疑に対し、また行に対することばなり。 「帰命無量寿如来」というは、寿命の無量なる体なり、また唐土のことばなり。阿弥陀如来に南無したてまつれというこころなり。「南無不可思議光」というは、智慧の光明のその徳すぐれたまえるすがたなり。「帰命無量寿如来」というは、すなわち南無阿弥陀仏の体なりとしらせ、南無阿弥陀仏と申すは、こころをもってもはかるべからず、ことばをもってもときのぶべからず、この二つの道理きわまりたるところを、「南無不可思議光」とはもうしたてまつるなり。これを報身如来ともうすなり、これを尽十方無碍光如来となづけたて 紙面画像を印刷 前のページ p747 次のページ 第二版p905・906へ このページの先頭に戻る