巻次
第四帖
827頁
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実に決定信をえしめん人あらば、一つは聖人今月の報謝のため、一つは愚老がこの七八か年のあいだの本懐とも、おもいはんべるべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。

文明十七年十一月二十三日

9 当時このごろ、ことのほかに疫癘とてひと死去す。これさらに疫癘によりてはじめて死するにはあらず。生まれはじめしよりしてさだまれる定業なり。さのみふかくおどろくまじきことなり。しかれども、いまの時分にあたりて死去するときは、さもありぬべきようにみなひとおもえり。これまことに道理ぞかし。このゆえに、阿弥陀如来のおおせられけるようは、「末代の凡夫、罪業のわれらたらんもの、つみはいかほどふかくとも、われを一心にたのまん衆生をば、かならずすくうべし」とおおせられたり。かかる時はいよいよ阿弥陀仏をふかくたのみまいらせて、極楽に往生すべしとおもいとりて、一向一心に弥陀をとうときことと、うたがうこころつゆちりほどももつまじきことなり。かくのごとくこころえのうえには、ねてもさめても、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏ともうすは、かようにやすくたすけまします、御ありがたさ、御うれしさを、もうす御礼のこころなり。これをすなわち仏恩報謝の念仏とはもうすなり。あなかしこ、あなかしこ。

延徳四年六月 日

10 いまの世にあらん女人は、みなみなこころを一つにして、阿弥陀如来をふかくたのみたてまつるべし。そのほかには、いずれの法を信ずというとも、後生のたすかるということ、ゆめゆめあるべからずとおもうべし。されば、弥陀をば、なにとようにたのみ、また後生をば、なにとねがうべきぞというに、なにのわずらいもな