巻次 - 852頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 あらんや。しかのごときのともがらは、この砌において仏法の信・不信をあいたずね、これを聴聞して、まことの信心を決定すべくんば、真実真実、聖人報謝の懇志に相叶うべき者なり。哀なるかな、それ聖人の御往生は、年忌とおくへだたりて、すでに一百余歳の星霜を送るといえども、御遺訓ますますさかんにして、教行信証の名義、いまに眼前にさえぎり、人口にのこれり。貴とむべし、信ずべし。これについて、当時真宗の行者のなかにおいて、真実信心を獲得せしむる人、これすくなし。ただ、人目・仁義ばかりに、名聞のこころをもって報謝と号せば、いかなる志をいたすというとも、一念帰命の真実の信心を決定せざらん人々は、その所詮あるべからず。誠に、水に入りて垢おちずといえるたぐいなるべきか。これによりて、此の一七か日報恩講中において、他力本願のことわりをねんごろにききひらきて、専修一向の念仏行者にならんにいたりては、まことに、今月聖人の御正日の素意に相叶うべし。これしかしながら、真実真実、報恩謝徳の御仏事となりぬべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。于也、文明九 十一月初比、俄為報恩謝徳染翰記之者也 紙面画像を印刷 前のページ p852 次のページ 第二版p1022へ このページの先頭に戻る