巻次 行 170頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 の三念門を釈し竟りぬと。乃至 「我依修多羅 真実功徳相 説願偈総持 与仏教相応」とのたまえりと。乃至 「何の所にか依る」、「何の故にか依る」、「云何が依る」、と。「何の所にか依る」は、修多羅に依るなり。「何の故にか依る」は、如来すなわち真実功徳の相なるをもってのゆえに。「云何が依る」は、五念門を修して相応せるがゆえにと。乃至 「修多羅」は、十二部経の中の直説のものを「修多羅」と名づく。いわく四阿含・三蔵等の外の大乗の諸経をまた「修多羅」と名づく。この中に「依修多羅」と言うは、これ三蔵の外の大乗修多羅なり、阿含等の経にはあらざるなり。「真実功徳相」は、二種の功徳あり。一つには、有漏の心より生じて法性に順ぜず。いわゆる凡夫人天の諸善・人天の果報、もしは因・もしは果、みなこれ顚倒す、みなこれ虚偽なり。このゆえに不実の功徳と名づく。二つには、菩薩の智慧・清浄の業より起こりて仏事を荘厳す。法性に依って清浄の相に入れり。この法顚倒せず、虚偽ならず、真実の功徳と名づく。いかんが顚倒せざる、法性に依り二諦に順ずるがゆえに。いかんが虚偽ならざる、衆生を摂して畢竟浄に入るがゆえなり。「説願偈総持 与仏教相応」は、「持」は不散不失に名づく。「総」は、少をもって多を摂するに名づく。乃至 「願」は欲楽往生に名づく。乃至 「与仏教相応」は、たとえば函蓋相称するがごとしとなり。乃至 「いかんが回向する。一切苦悩の衆生を捨てずして、心に常に作願すらく、回向を首として大悲心を成就することを得たまえるがゆえに」とのたまえり。回向に二種の相あり、一つには往相、二つには還相なり。往相は、己が功徳をもって一切衆生に回施して、作願して共に阿弥陀如来の安楽浄土に往生せしめたまえるなり、 紙面画像を印刷 前のページ p170 次のページ 第二版p184・185へ このページの先頭に戻る