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う所の如く、凡夫の所見の実の生死の如し。此の所見の事、畢竟じて有らゆること無けん。亀毛の如し、虚空の如しと。二には、謂わく、諸法は因縁生の故に即ち是れ不生にして、有らゆること無きこと虚空の如しと。天親菩薩、願生する所は、是れ因縁の義なり。因縁の義なるが故に、仮に「生」と名づく。凡夫、実の衆生・実の生死有りと謂うが如きには非ざるなり。
 問うて曰わく、何の義に依りて往生と説くぞや。
 答えて曰わく、此の間の仮名の人の中に於いて、五念門を修せしむ。前念と後念と因と作る。穢土の仮名の人、浄土の仮名の人、決定して一を得ず、決定して異を得ず。前心・後心、亦是くの如し。何を以ての故に。若し一ならば則ち因果無けん。若し異ならば則ち相続に非ず。是の義、一異を観ずる門なり。『論』の中に委曲なり。第一行の三念門を釈し竟りぬと。乃至
 「我依修多羅 真実功徳相 説願偈総持 与仏教相応」(論)とのたまえりと。乃至 何れの所にか依る、何の故にか依る、云何が依ると。「何所依」は、修多羅に依るなり。「何故依」は、如来即ち真実功徳の相なるを以ての故に。「云何依」は、五念門を修して相応せるが故にと。乃至 「修多羅」は、十二部経の中の直説の者を「修多羅」と名づく。謂わく、四阿含三蔵等の外の大乗の諸経を、亦「修多羅」と名づく。此の中に「依修多羅」と言うは、是れ三蔵の外の大乗修多羅なり。阿含等の経には非ざるなり。
 「真実功徳相」は、二種の功徳有り。一には有漏の心より生じて法性に順ぜず。謂わゆる、凡