巻次
185頁
表示設定
ブックマーク
表示設定
文字サイズ
書体
  • ゴシック
  • 明朝
カラー
テキスト情報
本文
画像情報
画像情報
本文

夫人天の諸善・人天の果報、若しは因、若しは果、皆是れ顚倒す、皆是れ虚偽なり。是の故に「不実の功徳」と名づく。二には菩薩の智慧清浄の業より起こして仏事を荘厳す。法性に依りて清浄の相に入れり。是の法、顚倒せず、虚偽ならず。「真実の功徳」と名づく。云何が顚倒せざる。法性に依り二諦に順ずるが故に。云何が虚偽ならざる。衆生を摂して畢竟浄に入るが故なり。
 「説願偈総持 与仏教相応」は、「持」は不散不失に名づく。「総」は少を以て多を摂するに名づく。乃至 「願」は欲楽往生に名づく。乃至 「与仏教相応」は、譬えば函蓋相称するが如しと。乃至
 「云何が回向する。一切苦悩の衆生を捨てずして心に常に作願すらく、回向を首として大悲心を成就することを得たまえるが故に」(論)とのたまえり。回向に二種の相有り。一には往相、二には還相なり。往相は、己が功徳を以て一切衆生に回施して、作願して共に阿弥陀如来の安楽浄土に往生せしめたまえるなり」と。抄出
 『安楽集』に云わく、「『観仏三昧経』に云わく、「父の王を勧めて念仏三昧を行ぜしめたまう。父の王、仏に白さく、「仏地の果徳、真如実相第一義空、何に因りてか弟子をして之を行ぜしめざる」と。