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 仏、父王に告げたまわく、「諸仏の果徳、無量深妙の境界・神通解脱有す。是れ凡夫の所行の境界に非ざるが故に、父王を勧めて念仏三昧を行ぜしめたてまつる」と。
 父王、仏に白さく、「念仏の功、其の状、云何ぞ」と。
 仏、父王に告げたまわく、「伊蘭林の方四十由旬ならんに、一科の牛頭栴檀有り。根芽有りと雖も、猶未だ土を出でざるに、其の伊蘭林、唯臭くして香ばしきこと無し。若し其の華菓を噉ずること有らば、狂を発して死せん。後の時に栴檀の根芽、漸漸く生長して、纔かに樹に成らんと欲す。香気昌盛にして、遂に能く此の林を改変して、普く皆香美ならしむ。衆生見る者、皆、希有の心を生ぜんが如し。」
 仏、父王に告げたまわく、「一切衆生、生死の中に在りて、念仏の心も亦復是くの如し。但能く念を繫けて止まざれば、定んで仏前に生ぜん。一たび往生を得れば、即ち能く一切諸悪を改変して大慈悲を成ぜんこと、彼の香樹の、伊蘭林を改むるが如し。」」言う所の「伊蘭林」は、衆生の身の内の三毒・三障・無辺の重罪に喩う。「栴檀」と言うは、衆生の念仏の心に喩う。「纔かに樹と成らんと欲す」というは、謂わく、一切衆生、但能く念を積みて断えざれば、業道成弁するなり。
 問うて曰わく、一衆生の念仏の功を計して、亦一切知るべし。何に因りてか一念の功力、能く一切の諸障を断ずること、一の香樹の、四十由旬の伊蘭林を改めて、悉く香美ならしむるが如くならんや。