巻次 信 218頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 行」と名づく、と。乃至 すべて「疎雑の行」と名づくるなり。かるがゆえに「深心」と名づく。「三者回向発願心」。乃至 また回向発願して生ずる者は、必ず決定して真実心の中に回向したまえる願を須いて得生の想を作せ。この心深信せること、金剛のごとくなるに由りて、一切の異見・異学・別解・別行の人等のために、動乱破壊せられず。ただこれ決定して一心に捉って正直に進みて、かの人の語を聞くことを得ざれ。すなわち進退の心ありて、怯弱を生じて回顧すれば、道に落ちてすなわち往生の大益を失するなり。問いて曰わく、もし解行不同の邪雑の人等ありて、来りて相惑乱して、あるいは種種の疑難を説きて「往生を得じ」と道い、あるいは云わん、「汝等衆生、曠劫より已来、および今生の身・口・意業に、一切凡聖の身の上において、つぶさに十悪・五逆・四重・謗法・闡提・破戒・破見等の罪を造りて、未だ除尽することあたわず。しかるにこれらの罪は、三界悪道に繫属す。いかんぞ一生の修福念仏をして、すなわちかの無漏無生の国に入りて、永く不退の位を証悟することを得んや。」答えて曰わく、諸仏の教行数塵沙に越えたり、識を稟くる機縁、情に随いて一にあらず。たとえば世間の人、眼に見るべく信ずべきがごときは、明のよく闇を破し、空のよく有を含み、地のよく載養し、水のよく生潤し、火のよく成壊するがごとし。これらのごときの事、ことごとく「待対の法」と名づく。すなわち目に見つべし。千差万別なり。いかにいわんや仏法不思議の力、あに種種の益無からんや。随いて一門を出ずるは、すなわち一煩悩の門を出ずるなり。随いて一門に入るは、すなわち一解脱智慧の門に入るなり。これを為って縁に随いて行を起こして、おのおの解脱を求めよ。汝何をもってか、いまし有縁の要行にあらざるをもって、我を障惑する。しかるに我が所愛は、すなわちこれ我が有縁の行なり、すなわち汝が 紙面画像を印刷 前のページ p218 次のページ 第二版p245・246へ このページの先頭に戻る