巻次 信 245頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 必ず疑無きなり。是の故に一仏の所説をば、即ち一切仏、同じく其の事を証誠したまうなり。此れを「人に就いて信を立つ」と名づくるなり。乃至 又、此の正の中に就いて復た二種有り。一には、一心に弥陀の名号を専念して、行住座臥、時節の久近を問わず、念念に捨てざるは、是れを「正定の業」と名づく。彼の仏願に順ずるが故に。若し礼誦等に依るは、即ち名づけて「助業」とす。此の正・助二行を除きて已外の自余の諸の善は、悉く「雑行」と名づく。乃至 衆て「疎雑の行」と名づくるなり。故に「深心」と名づく。 「三者回向発願心。」(観経)乃至 又、回向発願して生ずる者は、必ず決定して真実心の中に回向したまえる願を須いて得生の想を作せ。此の心、深信せること金剛の若くなるに由りて、一切の異見・異学・別解・別行の人等の為に動乱破壊せられず。唯是れ決定して一心に捉りて、正直に進みて彼の人の語を聞くことを得ざれ。即ち進退の心有りて怯弱を生じて回顧すれば、道に落ちて即ち往生の大益を失するなり。 紙面画像を印刷 前のページ p245 次のページ 初版p217・218へ このページの先頭に戻る