巻次
246頁
表示設定
ブックマーク
表示設定
文字サイズ
書体
  • ゴシック
  • 明朝
カラー
テキスト情報
本文
画像情報
画像情報
本文

 問うて曰わく、若し解行不同の邪雑の人等有りて、来たりて相惑乱して、或いは種種の疑難を説きて、「往生を得じ」と道い、或いは云わん、「汝等衆生、曠劫より已来、及以び今生の身口意業に、一切凡聖の身の上に於いて、具に十悪・五逆・四重・謗法・闡提・破戒・破見等の罪を造りて、未だ除尽すること能わず。然るに此れ等の罪は、三界悪道に繫属す。云何ぞ一生の修福念仏をして、即ち彼の無漏無生の国に入りて、永く不退の位を証悟することを得んや。」
 答えて曰わく、諸仏の教行、数、塵砂に越えたり。識を稟くる機縁、情に随いて一に非ず。譬えば世間の人、眼に見るべく信ずべきが如きは、明の能く闇を破し、空の能く有を含み、地の能く載養し、水の能く生潤し、火の能く成壊するが如し。此れ等の如きの事、悉く「待対の法」と名づく。即ち目に見つべし。千差万別なり。何に況んや仏法不思議の力、豈に種種の益無からんや。随いて一門を出ずるは、即ち一煩悩の門を出ずるなり。随いて一門に入るは、即ち一解脱智慧の門に入るなり。此れを為て〔「為」の字 定なり。用なり。彼なり。作なり。是なり。相なり。〕縁に随いて行を起こして、各おの解脱を求めよ。汝、何を以てか乃し将に有縁の要行に非ざるをもって我を障惑する。然るに我が所愛は即ち是れ我が有縁の行なり。即ち汝が所求に非ず。汝が所愛は即ち是れ汝が有縁の行なり。亦我が所求に非ず。是の故に各おの所楽に随いて其の行を修するは、必ず疾く解脱を得るなり。行者、当に知るべし。若し解を学ばんと欲わば、凡より聖に至るまで、乃至仏果まで、一切、碍無し。皆、学ぶことを得よとなり。若し行を学ばんと欲わば、必ず有縁