巻次 信 226頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 漢文 画像情報 画像情報 本文 『無量寿如来会』に言わく、仏阿難に告げたまわく、かの法処比丘、世間自在王如来および諸天・人・魔・梵・沙門・婆羅門等の前にして、広くかくのごとき大弘誓を発しき。みなすでに成就したまえり。世間に希有にして、この願を発し已りて実のごとく安住す。種種の功徳具足して、威徳広大清浄仏土を荘厳せり。かくのごとき菩薩の行を修習せること、時、無量・無数・不可思議・無有等等・億那由他百千劫を経るうちに、初めて未だかつて貪・瞋および痴・欲・害・恚の想を起こさず。色・声・香・味・触の想を起こさず。もろもろの衆生において、常に愛敬を楽うこと、なお親属のごとし。乃至 その性調順にして暴悪あることなし。もろもろの有情において常に慈忍の心を懐いて詐諂せず、また懈怠なし。善言策進してもろもろの白法を求めしめ、あまねく群生のために勇猛にして退なく世間を利益せしめ、大願円満したまえり、と。略出 (散善義)光明寺の和尚云わく、この雑毒の行を回して、かの仏の浄土に求生せんと欲うは、これ必ず不可なり。何をもってのゆえに、正しくかの阿弥陀仏因中に菩薩の行を行ぜし時、乃至一念一刹那も、三業の所修、みなこれ真実心の中に作したまえるに由ってなり。おおよそ施したまうところ趣求をなす、またみな真実なり。また真実に二種あり。一つには自利真実、二つには利他真実なり、と。乃至 不善の三業をば、必ず真実心の中に捨てたまえるを須いよ。また、もし善の三業を起こさば、必ず真実心の中に作したまえるを須いて、内外・明闇を簡ばず、みな真実を須いるがゆえに、「至誠心」と名づく、と。抄要 しかれば、大聖の真言・宗師の釈義、まことに知りぬ、この心すなわちこれ不可思議・不可称・不可説の一乗大智願海、回 漢文 爾者、大聖真言・宗師釈義、信知、斯心則是不可思議・不可称・不可説一乗大智 紙面画像を印刷 前のページ p226 次のページ 第二版p256・257へ このページの先頭に戻る