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抄出
 (阿弥陀経義疏)元照律師の云わく、他の為すこと能わざるがゆえに甚難なり。世挙って未だ見たてまつらざるがゆえに希有なり、といえり。
 また云わく、念仏法門は愚智・豪賤を簡ばず、久近・善悪を論ぜず。ただ決誓猛信を取れば、臨終悪相なれども十念に往生す。これすなわち具縛の凡愚・屠沽の下類、刹那に超越する成仏の法なり。「世間甚難信」と謂うべきなり。
 また云わく、この悪世にして修行成仏するを難とするなり。もろもろの衆生のためにこの法門を説くを二の難とするなり。前の二難を承けて、すなわち諸仏所讃の虚しからざる意を彰す。衆生聞きて信受せしめよとなり、と。已上
 律宗の用欽の云わく、法難を説く中に、良にこの法をもって凡を転じて聖と成すこと、掌を反すがごとくなるをや。大きにこれ易かるべきがゆえに、おおよそ浅き衆生は、多く疑惑を生ぜん。すなわち『大本』(大経)に「易往而無人」と云えり。かるがゆえに知りぬ、難信なり、と。
 『聞持記』に云わく、不簡愚智 性に利鈍あり、 不択豪賤 報に強弱あり、 不論久近 功に浅深あり、 不選善悪 行に好醜あり、 取決誓猛信臨終悪相 すなわち『観経』の下品中生に地獄の衆火一時に倶に至ると等、 具縛凡愚 二惑全くあるがゆえに、 屠沽下類刹那超越成仏之法可謂一切世間甚難信也 屠は謂わく殺を宰どる、沽はすなわち醞売、かくのごときの悪人、ただ十念に由ってすなわち超往を得、あに難信にあらずや、 と。