巻次 信 249頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 る、これなり。もし念仏の者は、すなわちこれ人中の好人なり、人中の妙好人なり、人中の上上人なり、人中の希有人なり、人中の最勝人なり。四つには、弥陀の名を専念すれば、すなわち観音・勢至常に随いて影護したまうこと、また親友・知識のごとくなることを明かすなり。五つには、今生にすでにこの益を蒙れり。命を捨ててすなわち諸仏の家に入らん、すなわち浄土これなり。彼に到りて長時に法を聞き、歴事供養せん。因円に果満ず。道場の座、あに賖ならんやということを明かす。已上 (龍序浄土文)王日休云わく、我『無量寿経』を聞くに、「衆生この仏名を聞きて、信心歓喜せんこと乃至一念せんもの、かの国に生まれんと願ずれば、すなわち往生を得、不退転に住す」と。「不退転」は、梵語にはこれを「阿惟越致」と謂う。『法華経』には謂わく、弥勒菩薩の所得の報地なり。一念往生、すなわち弥勒に同じ。仏語虚しからず、この『経』はまことに往生の径術・脱苦の神方なり。みな信受すべし、と。已上 『大経』に言わく、仏、弥勒に告げたまわく、「この世界より、六十七億の不退の菩薩ありて、かの国に往生せん。一一の菩薩は、すでに曾無数の諸仏を供養せりき。次いで弥勒のごとし」と。 (如来会)また言わく、仏、弥勒に告げたまわく、「この仏土の中に、七十二億の菩薩あり。彼は無量億那由他百千の仏の所にして、もろもろの善根を種えて不退転を成ぜるなり。当にかの国に生ずべし」と。抄出 律宗の用欽師の云わく、至れること『華厳』の極唱・『法華』の妙談に如かんや。かつは未だ普授あることを見ず。衆生一生にみな阿耨多羅三藐三菩提の記を得ることは、誠に謂うところの、不可思議功徳の利なり、と。已上 紙面画像を印刷 前のページ p249 次のページ 第二版p282・283へ このページの先頭に戻る