巻次 化本 330頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 漢文 画像情報 画像情報 本文 光明寺の『釈』(定善義)に云わく、華に含まれて未だ出でず、あるいは辺界に生じ、あるいは宮胎に堕せん、と。已上 (述文賛)憬興師の云わく、仏智を疑うに由って、かの国に生まれて、辺地にありといえども、聖化の事を被らず。もし胎生せば、宜しくこれを重く捨つべし、と。已上 首楞厳院の『要集』に、感禅師(懐感)の『釈』(群疑論)を引きて云わく、「問う、『菩薩処胎経』の第二に説かく、「西方この閻浮提を去ること十二億那由他に懈慢界あり。乃至 意を発せる衆生、阿弥陀仏国に生まれんと欲する者、みな深く懈慢国土に着して、前進んで阿弥陀仏国に生まるることあたわず。億千万の衆、時に一人ありて、よく阿弥陀仏国に生ず」と云云。この経をもって准難するに、生を得べしや。答う、『群疑論』に善導和尚の前の文を引きてこの難を釈して、また自ら助成して云わく、「この『経』の下の文に言わく、「何をもってのゆえに、みな懈慢に由って執心牢固ならず」と。ここに知りぬ、雑修の者は「執心不牢の人」とす。かるがゆえに懈慢国に生ずるなり。もし雑修せずして専らこの業を行ぜば、これすなわち執心牢固にして、定めて極楽国に生まれん。乃至 また報の浄土に生ずる者は極めて少なし、化の浄土の中に生ずる者は少なからず。かるがゆえに『経』の別説、実に相違せざるなり」と。已上略抄 しかればそれ楞厳の和尚(源信)の解義を案ずるに、念仏証拠門の中に、第十八の願は「別願の中の別願」なりと顕開したまえり。『観経』の定散諸機は「極重悪人唯称弥陀」と勧励した 漢文 爾者夫案楞厳和尚解義、念仏証拠門中、第十八願者顕開別願中之別願。観経定散諸機者勧励極重悪人唯称 紙面画像を印刷 前のページ p330 次のページ 第二版p384・385へ このページの先頭に戻る