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に由りて信心を起こすが故に彼の国に生まると雖も、蓮華の中にして出現することを得ず。彼等の衆生、華胎の中に処すること、猶、園苑宮殿の想の如し」」と。抄要
 『大経』に言わく、「諸の少行の菩薩及び少功徳を修習する者、称計すべからざる、皆、当に往生すべし」と。
 又言わく(如来会)、「況んや余の菩薩、少善根に由りて彼の国に生ずる者、称計すべからず」と。已上
 光明寺(善導)の『釈』(定善義)に云わく、「華に含みて未だ出でず。或いは辺界に生じ、或いは宮胎に堕せん」と。已上
 憬興師の云わく(述文賛)、「仏智を疑うに由りて、彼の国に生まれて辺地に在りと雖も、聖化の事を被らず。若し胎生せば、宜しく之を重く捨つべし」と。已上
 首楞厳院(源信)の『要集』(往生要集)に、感禅師(懐感)の『釈』(群疑論)を引きて云わく、「「問う。『菩薩処胎経』の第二に説かく、「西方、此の閻浮提を去ること、十二億那由他に、懈慢界有り。乃至 意を発する衆生、阿弥陀仏国に生ぜんと欲する者、皆、深く懈慢国土を着して、前進んで阿弥陀仏国に生ずること能わず。億千万の衆、時に一人有りて、能く阿弥陀仏国に生ず」と云云。此の『経』を以て准難するに、生を得べしや。」
 答う。『群疑論』に善導和尚の前の文を引きて、此の難を釈して、又自ら助成して云わく、「此