巻次 化本 385頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 漢文 画像情報 画像情報 本文 の『経』の下の文に云わく、「何を以ての故に。皆、懈慢に由りて執心牢固ならず」」と。是に知りぬ。雑修の者は執心不牢の人とす。故に懈慢国に生ず。若し雑修せずして専ら此の業を行ずるは、此れ即ち執心牢固にして、定めて極楽国に生ず。乃至 又、報の浄土に生ずる者は極めて少なし。化の浄土の中に生ずる者は少なからず。故に経の別説、実に相違せざるなり」と。已上略抄 爾れば夫れ楞厳の和尚(源信)の解義を案ずるに、「念仏証拠門」(往生要集)の中に、第十八の願は別願の中の別願なりと顕開したまえり。『観経』の定散諸機は、「極重悪人唯称弥陀」と勧励したまえるなり。濁世の道俗、善く自ら己が能を思量せよとなり。知るべし。 問う。『大本』(大経)の三心と『観経』の三心と、一異云何ぞや。 漢文 爾者夫案楞厳和尚解義、念仏証拠門中第十八願者顕開別願中之別願。『観経』定散諸機者勧励「極重悪人唯称弥陀」也。濁世道俗、善自思量己能也。応知。問。『大本』三心与『観経』三心、一異云何。 紙面画像を印刷 前のページ p385 次のページ 初版p330・331へ このページの先頭に戻る