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化本
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の『経』の下の文に云わく、「何を以ての故に。皆、懈慢に由りて執心牢固ならず」」と。是に知りぬ。雑修の者は執心不牢の人とす。故に懈慢国に生ず。若し雑修せずして専ら此の業を行ずるは、此れ即ち執心牢固にして、定めて極楽国に生ず。乃至 又、報の浄土に生ずる者は極めて少なし。化の浄土の中に生ずる者は少なからず。故に経の別説、実に相違せざるなり」と。已上略抄

 爾れば夫れ楞厳の和尚(源信)の解義を案ずるに、「念仏証拠門」(往生要集)の中に、第十八の願は別願の中の別願なりと顕開したまえり。『観経』の定散諸機は、「極重悪人唯称弥陀」と勧励したまえるなり。濁世の道俗、善く自ら己が能を思量せよとなり。知るべし。
 問う。『大本』(大経)の三心と『観経』の三心と、一異云何ぞや。

漢文

爾者夫案楞厳和尚解義、念仏証拠門中第十八願者顕開別願中之別願。『観経』定散諸機者勧励「極重悪人唯称弥陀」也。濁世道俗、善自思量己能也。応知。
問。『大本』三心与『観経』三心、一異云何。