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 答う。釈家(善導)の意に依りて『無量寿仏観経』を案ずれば、顕彰隠密の義有り。
 「顕」と言うは、即ち定散諸善を顕し、三輩・三心を開く。然るに二善・三福は報土の真因に非ず。諸機の三心は自利各別にして、利他の一心に非ず。如来の異の方便、欣慕浄土の善根なり。是れは此の『経』(観経)の意なり。即ち是れ顕の義なり。
 「彰」と言うは、如来の弘願を彰し、利他通入の一心を演暢す。達多・闍世の悪逆に縁りて、釈迦微咲の素懐を彰す。韋提別選の正意に因りて、弥陀大悲の本願を開闡す。斯れ乃ち此の『経』(同)の隠彰の義なり。
 是を以て、『経』(同)には、「教我観於清浄業処」と言えり。「清浄業処」と言うは則ち是れ本願成就の報土なり。
 「教我思惟」(同)と言うは即ち方便なり。

漢文

答。依釈家之意案『無量寿仏観経』者有顕彰隠密義。
言顕者、即顕定散諸善、開三輩三心。然二善三福非報土真因。諸機三心自利各別而非利他一心。如来異方便、欣慕浄土善根。是此『経』之意。即是顕義也。
言彰者、彰如来弘願、演暢利他通入一心。縁達多・闍世悪逆、彰釈迦微咲素懐。因韋提別選正意、開闡弥陀大悲本願。斯乃此『経』隠彰義也。
是以『経』言「教我観於清浄業処。」
言「清浄業処」者則是本願成就報土也。
言「教我思惟」者即方便也。