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阿弥陀仏および依正二報を供養す。また真実心の中の身業に、この生死三界等の自他の依正二報を軽慢し厭捨す。また真実心の中の意業に、かの阿弥陀仏および依正二報を思想し観察し憶念して、目の前に現ぜるがごとくす。また真実心の中の意業に、この生死三界等の自他の依正二報を軽賤し厭捨す、と。乃至 また決定して「釈迦仏、この『観経』に三福・九品・定散二善を説きて、かの仏の依正二報を証賛して、人をして欣慕せしむ」と深信す、と。乃至 また深心の深信とは、決定して自心を建立して、教に順じて修行し、永く疑錯を除きて、一切の別解・別行・異学・異見・異執のために退失傾動せられざるなり、と。乃至 次に行に就いて信を立てば、しかるに行に二種あり。一つには正行、二つには雑行なり。正行と言うは、専ら往生経の行に依って行ずるは、これを正行と名づく。何ものかこれや。一心に専らこの『観経』・『弥陀経』・『無量寿経』等を読誦する。一心にかの国の二報荘厳を専注し、思想し、観察し、憶念する。もし礼せば、すなわち一心に専らかの仏を礼する。もし口に称せば、すなわち一心に専らかの仏を称せよ。もし讃嘆供養せば、すなわち一心に専ら讃嘆供養する。これを名づけて「正」とす、と。またこの正の中についてまた二種あり。一つには、一心に弥陀の名号を専念して、行住座臥に時節の久近を問わず、念念に捨てざるは、これを「正定の業」と名づく、かの仏願に順ずるがゆえに。もし礼誦等に依るを、すなわち名づけて「助業」とす。この正助二行を除きて、已外の自余の諸善は、ことごとく「雑行」と名づく。もし前の正助二行を修するは、心常に親近し、憶念断えず、名づけて「無間」とするなり。もし後の雑行を行ずるは、すなわち心常に間断す。回向して生を得べしといえども、すべて「疎雑の行」と名づくるなり。かるがゆえに「深心」と名づく、と。三つには回向発願心。