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 また云わく、しかるに仏願の意を望むには、ただ正念を勧め、名を称せしむ。往生の義疾きことは、雑散の業には同じからず。この経および諸部の中に、処処に広く嘆ずるがごときは、勧めて名を称せしむるを将に要益とせんとするなり。知るべし、と。
 また云わく、「仏告阿難 汝好持是語」より已下は、正しく弥陀の名号を付嘱して、遐代に流通することを明かす。上よりこのかた定散両門の益を説くといえども、仏の本願の意を望まんには、衆生をして一向に専ら弥陀仏の名を称せしむるにあり、と。
 (法事讃)また云わく、極楽は無為涅槃の界なり、随縁の雑善恐らくは生まれがたし。かるがゆえに如来、要法を選びて、教えて弥陀を念ぜしめて、専らにしてまた専らならしめたまえり、と。
 また云わく、劫尽きんと欲する時、五濁盛りなり。衆生邪見にしてはなはだ信じがたし。専らにして専らなれと指授して西路に帰せしめしに、他のために破壊せられて還りてもとのごとし。曠劫より已来常にかくのごとし。これ今生に始めて自ら悟るにあらず。正しく好き強縁に遇わざるに由って、輪回して得度しがたからしむることを致す、と。
 また云わく、種種の法門みな解脱すれども、念仏して西方に往くに過ぎたるはなし。上一形を尽くし、十念・三念・五念に至るまで、仏来迎したまう。直ちに弥陀の弘誓重なれるをもって、凡夫念ずればすなわち生ぜしむることを致す、と。
 (般舟讃)また云わく、一切如来、方便を設けたまうこと、また今日の釈迦尊に同じ。機に随いて法を説くに、