巻次 本 516頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 ち、仏の御あしを礼して仏にもうしてもうさくとなり。「我憶往昔」というは、われむかし、恒河沙劫のかずのとしをおもうというこころなり。「有仏出世 名無量光」ともうすは、仏、世にいでさせたまいしともうす御ことばなり。世にいでさせたまいし仏は、阿弥陀如来なりともうすなり。十二光仏、十二度世にいでさせたまうを、「十二如来 相継一劫」ともうすなり。十二如来ともうすはすなわち阿弥陀如来の十二光の御名なり。相継一劫というは、十二光仏の、十二度世にいでさせたまうをあいつぐというなり。「其最後仏 名超日月光」ともうすは、十二光仏の、世にいでさせたまいしおわりの仏を、超日月光仏ともうすとなり。「彼仏教我 念仏三昧」ともうすは、かの最後の超日月光仏の念仏三昧を、勢至にはおしえたまうとなり。「若衆生心 憶仏念仏」というは、もし衆生心に仏を憶し、仏を念ずれば。「現前当来 必定見仏 去仏不遠 不仮方便 自得心開」というは、今生にも仏をみたてまつり、当来にもかならず仏をみたてまつるべし、となり。仏もとおざからず、方便をもからず、自然に心にさとりをうべしとなり。「如染香人 身有香気」というは、こうばしき気、みにある人のごとく、念仏のこころ、もてる人に、勢至のこころをこうばしき人にたとえもうすなり。このゆえに、「此則名曰 香光荘厳」ともうすなり。勢至菩薩の御こころのうちに念仏のこころをもてるを、染香人にたとえもうすなり。かるがゆえに、勢至菩薩のたまわく、「我本因地 以念仏心 入無生忍 今於此界 摂念仏人 帰於浄土」といえり。「我本因地」というは、われもと因地にしてといえり。「以念仏心」というは、念仏の心をもってという。「入無生忍」というは、無生忍にいるとなり。「今於此界」というは、いまこの娑婆界にして、というなり。「摂念仏人」というは、念仏の人を摂取してという。「帰於浄土」というは、 紙面画像を印刷 前のページ p516 次のページ 第二版p631・632へ このページの先頭に戻る