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尊号真像銘文末

 首楞厳院源信和尚の銘文
 「我亦在彼摂取之中 煩悩障眼雖不能見 大悲無倦常照我身」(往生要集)文
 「我亦在彼摂取之中」というは、われまたかの摂取のなかにありとのたまえるなり。「煩悩障眼」というは、われら煩悩にまなこさえらるとなり。「雖不能見」というは、煩悩のまなこにて仏をみたてまつることあたわずといえどもというなり。「大悲無倦」というは、大慈大悲の御めぐみものうきことましまさずともうすなり。「常照我身」というは、常はつねにという。照はてらしたまうという。無碍の光明、信心の人をつねにてらしたまうとなり。つねにてらすというは、つねにまもりたまうとなり。我身は、わがみを大慈大悲ものうきことなくして、つねにまもりたまうとおもえとなり。摂取不捨の御めぐみのこころをあらわしたまうなり。「念仏衆生 摂取不捨」のこころを釈したまえるなりとしるべしとなり。
 日本源空聖人の真影
 四明山権律師劉官讃「普勧道俗 念弥陀仏 能念皆見 化仏菩薩 明知称名 往生要術 宜哉源空 慕道化物 信珠在心 心照迷境 疑雲永晴 仏光円頂  建暦壬申三月一日」
 「普勧道俗 念弥陀仏」というは、普勧はあまねくすすむとなり。道俗は道にふたりあり、俗にふたりあり。