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 「御縁起曰」というは、聖徳太子の御縁起なり。「百済国」というは、聖徳太子、さきの世にうまれさせたまいたりけるくにの名なり。「聖明王」というは、百済国に太子のわたらせたまいたりけるときのそのくにの王の名なり。「太子阿佐礼曰」というは、聖明王の太子のななり。聖徳太子をこいしたいかなしみまいらせて、御かたちを金銅にて、いまいらせたりけるを、この和国に聖徳太子うまれてわたらせたまうとききまいらせて、聖明王、わがこの阿佐太子を勅使として、金銅の救世観音の像をおくりまいらせしとき、礼しまいらすとして誦せる文なり。「敬礼救世大慈観音菩薩」ともうしけり。「妙教流通東方日本国」ともうすは、上宮太子仏法をこの和国につたえひろめおわしますとなり。「四十九歳」というは、上宮太子は四十九歳までぞ、この和国にわたらせたまわんずると、阿佐太子もうしけり。おくられたまえる金銅の救世菩薩は天王寺の金堂にわたらせたまうなり。「伝燈演説」というは、伝燈は仏法をともしびにたとえたるなり。演説は上宮太子、仏教をときひろめましますべしと阿佐太子もうしけり。また、新羅国より上宮太子をこいしたいまいらせて、日羅ともうす聖人きたりて、聖徳太子を礼したてまつりてもうさく、「敬礼救世観音大菩薩」ともうすは、聖徳太子は救世観音にておわしますと礼しまいらせけり。「伝燈東方」ともうすは、仏法をともしびにたとえて、東方ともうすは、この和国に仏教のともしびをつたえおわしますと、日羅もうしけり。「粟散王」ともうすは、このくにはきわめて小国なりという。粟散というは、あわつぶをちらせるがごとくちいさきくにの王と聖徳太子のならせたまいたるともうしけるなり。