巻次 本 641頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 ろにおさめたまうとしるべし。「是人」は、信心をえたる人なり。つねにまもりたまうともうすは、天魔波旬にやぶられず、悪鬼悪神にみだられず。摂護不捨したまうゆえなり。「摂護不捨」というは、おさめまもりてすてずとなり。「総不論照摂 余雑業行者」というは、「総」は、すべてという、みなという。雑行雑修の人をば、すべてみなてらしおさめまもりたまわずとなり。てらしまもりたまわずともうすは、摂取不捨の利益にあずからずとなり。本願の行者にあらざるゆえなりとしるべし。しかれば、「摂護不捨」と釈したまわず。「現生護念増上縁」というは、このよにて、まことの信ある人をまもりたまうともうすみことなり。「増上縁」は、すぐれたる強縁となり。皇太子聖徳の御銘文『御縁起』に曰わく、「百済国聖明王太子阿佐、礼して曰さく、「敬礼救世大慈観音菩薩 妙教流通東方日本国 四十九歳伝燈演説」」文「新羅国の聖人日羅、礼して曰さく、「敬礼救世観音大菩薩 伝燈東方粟散王」」文 「御縁起曰」というは、聖徳太子の御縁起なり。「百済国」というは、聖徳太子、さきの世にうまれさせたまいたりけるくにの名なり。「聖明王」というは、百済国に、太子の、わたらせたまいたりけるときの、そのくにの王の名なり。「太子阿佐礼曰」というは、聖明王の太子のななり。聖徳太子をこいしたいかなしみまいらせて、御かたちを金銅にて、いまいらせたりけるを、この和国に聖徳太子うまれてわたらせたまうとききまいらせて、聖明王、わがこの阿佐太子を勅使として、金銅 紙面画像を印刷 前のページ p641 次のページ 初版p523・524へ このページの先頭に戻る