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 「言護念増上縁者」というは、まことの心をえたる人をこのよにてつねにまもりたまうともうすことばなり。「但有専念 阿弥陀仏衆生」というは、ひとすじにふたごころなく弥陀仏を念じたてまつるともうすなり。「彼仏心光 常照是人」というは、彼はかのという。仏心光は無碍光仏の御こころともうすなり。常照は、つねにてらすともうす。つねにというは、ときをきらわず、日をへだてず、ところをわかず、まことの信心ある人をばつねにてらしたまうとなり。てらすというは、かの仏心のおさめとりたまうとなり。仏心光は、すなわち阿弥陀仏の御こころにおさめたまうとしるべし。是人は、信心をえたる人なり。つねにまもりたまうともうすは、天魔波旬にやぶられず、悪鬼悪神にみだられず、摂護不捨したまうゆえなり。「摂護不捨」というは、おさめまもりてすてずとなり。「総不論照摂 余雑業行者」というは、総はすべてという、みなという。雑行雑修の人をばすべてみなてらしおさめまもりたまわずとなり。てらしまもりたまわずともうすは、摂取不捨の利益にあずからずとなり。本願の行者にあらざるゆえなりとしるべし。しかれば摂護不捨と釈したまわず。「現生護念増上縁」というは、このよにてまことの信ある人をまもりたまうともうすみことなり。増上縁はすぐれたる強縁となり。
 皇太子聖徳の御銘文
 「御縁起曰 百済国聖明王太子阿佐礼曰 敬礼救世大慈観音菩薩 妙教流通 東方日本国 四十九歳 伝燈演説」文
 「新羅国 聖人日羅礼曰 敬礼救世観音大菩薩 伝燈東方粟散王」文