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煩悩をたちすてずしてという。得涅槃ともうすは、無上大涅槃をさとるをうるとしるべし。「凡聖逆謗斉回入」というは、小聖・凡夫・五逆・謗法・無戒・闡提みな回心して、真実信心海に帰入しぬれば、衆水の海にいりて、ひとつあじわいとなるがごとしとたとえたるなり。これを「如衆水入海一味」というなり。「摂取心光常照護」というは、信心をえたる人をば無碍光仏の心光、つねにてらしまもりたまうゆえに、無明のやみはれ、生死のながきよ、すでにあかつきになりぬとしるべしとなり。「已能雖破無明闇」というは、このこころなり。信心をうればあかつきになるがごとしとしるべし。「貪愛瞋憎之雲霧 常覆真実信心天」というは、われらが貪愛瞋憎をくもきりにたとえて、つねに信心の天におおえるなりとしるべし。「譬如日月覆雲霧 雲霧之下明無闇」というは、日月のくもきりにおおわるれども、やみはれて、くもきりのしたあきらかなるがごとく、貪愛瞋憎のくもきりに信心はおおわるれども、往生にさわりあるべからずとしるべしとなり。「獲信見敬得大慶」というは、この信心をえて、おおきによろこびうやまう人というなり。大慶は、おおきにうべきことをえてのちに、よろこぶというなり。「即横超截五悪趣」というは、信心をえつればすなわち、横に五悪趣をきるなりとしるべしとなり。即横超は、即はすなわちという、信をうる人は、ときをへず、日をへだてずして正定聚のくらいにさだまるを即というなり。横はよこさまという、如来の願力なり。他力をもうすなり。超はこえてという。生死の大海をやすくよこさまにこえて、無上大涅槃のさとりをひらくなり。信心を浄土宗の正意としるべきなり。このこころをえつれば、他力には義のなきをもって義とすと、本師聖人のおおせごとなり。義というは、行者のおのおののはからうこころなり。このゆえに、おのおの