巻次 末 651頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 の実報土にうまるとしるべし。「慶喜」というは、信をえてのち、よろこぶこころをいうなり。「不断煩悩得涅槃」というは、「不断煩悩」は、煩悩をたちすてずしてという。「得涅槃」ともうすは、無上大涅槃をさとるをうるとしるべし。「凡聖逆謗斉回入」というは、小聖・凡夫・五逆・謗法・無戒・闡提、みな回心して真実信心海に帰入しぬれば、衆水の、海にいりて、ひとつあじわいとなるがごとしとたとえたるなり。これを「如衆水入海一味」というなり。「摂取心光常照護」というは、信心をえたる人をば、無碍光仏の心光、つねにてらしまもりたまうゆえに、無明のやみはれ、生死のながきよ、すでにあかつきになりぬとしるべしとなり。「已能雖破無明闇」というは、このこころなり。信心をうれば、あかつきになるがごとしとしるべし。「貪愛瞋憎之雲霧 常覆真実信心天」というは、われらが貪愛・瞋憎を、くも・きりにたとえて、つねに信心の天におおえるなりとしるべし。「譬如日月覆雲霧 雲霧之下明無闇」というは、日月の、くも・きりにおおわるれども、やみはれて、くも・きりのした、あきらかなるがごとく、貪愛・瞋憎のくも・きりに信心はおおわるれども、往生にさわりあるべからずとしるべしとなり。「獲信見敬得大慶」というは、この信心をえて、おおきによろこびうやまう人というなり。「大慶」は、おおきに、うべきことをえてのちに、よろこぶというなり。「即横超截五悪趣」というは、信心をえつれば、すなわち横に五悪趣をきるなりとしるべしとなり。「即横超」は、「即」は、すなわちという。信をうる人は、ときをへず、日をへだてずして正定聚のくらいにさだまるを、「即」というなり。「横」は、よこさ 紙面画像を印刷 前のページ p651 次のページ 初版p531・532へ このページの先頭に戻る