巻次 - 543頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 この要門・仮門より、もろもろの衆生をすすめこしらえて、本願一乗円融無碍真実功徳大宝海におしえすすめいれたまうがゆえに、よろずの自力の善業をば方便の門ともうすなり。いま、一乗ともうすは、本願なり。円融ともうすは、よろずの功徳善根みちみちてかくることなし。自在なるこころなり。無碍ともうすは、煩悩悪業にさえられず、やぶられぬをいうなり。真実功徳ともうすは、名号なり。一実真如の妙理、円満せるがゆえに、大宝海にたとえたまうなり。一実真如ともうすは、無上大涅槃なり。涅槃すなわち法性なり。法性すなわち如来なり。宝海ともうすは、よろずの衆生をきらわず、さわりなく、へだてず、みちびきたまうを、大海のみずのへだてなきにたとえたまえるなり。この一如宝海よりかたちをあらわして、法蔵菩薩となのりたまいて、無碍のちかいをおこしたまうをたねとして、阿弥陀仏と、なりたまうがゆえに、報身如来ともうすなり。これを尽十方無碍光仏となづけたてまつれるなり。この如来を、南無不可思議光仏とももうすなり。この如来を方便法身とはもうすなり。方便ともうすは、かたちをあらわし、御なをしめして衆生にしらしめたまうをもうすなり。すなわち、阿弥陀仏なり。この如来は、光明なり。光明は智慧なり。智慧はひかりのかたちなり。智慧またかたちなければ、不可思議光仏ともうすなり。この如来、十方微塵世界にみちみちたまえるがゆえに、無辺光仏ともうす。しかれば、世親菩薩は、尽十方無碍光如来となづけたてまつりたまえり。『浄土論』に曰わく、「観仏本願力 遇無空過者 能令速満足 功徳大宝海」とのたまえり。この文のこころは、仏の本願力を観ずるに、もうおうてむなしくすぐるひとなし。よくすみやかに功徳の大宝海を満足せしむとのたまえり。「観」は、願力をこころにうかべみるともうす、またしるというこころなり。「遇」は、もうあうという。も 紙面画像を印刷 前のページ p543 次のページ 第二版p665・666へ このページの先頭に戻る