巻次
-
665頁
表示設定
ブックマーク
表示設定
文字サイズ
書体
  • ゴシック
  • 明朝
カラー
テキスト情報
本文
画像情報
画像情報
本文

うすなり。しかればこれを、諸仏出世の直説ともうすなり。おおよそ八万四千の法門は、みなこれ浄土の方便の善なり。これを要門という。これを仮門となづけたり。この要門・仮門というは、すなわち『無量寿仏観経』一部にときたまえる定善・散善これなり。定善は十三観なり。散善は三福九品の諸善なり。これみな浄土方便の要門なり。これを仮門ともいう。この要門・仮門より、もろもろの衆生をすすめこしらえて、本願一乗円融無碍真実功徳大宝海におしえすすめいれたまうがゆえに、よろずの自力の善業をば方便の門ともうすなり。いま、一乗ともうすは、本願なり。円融ともうすは、よろずの功徳善根みちみちてかくることなし。自在なるこころなり。無碍ともうすは、煩悩悪業にさえられず、やぶられぬをいうなり。真実功徳ともうすは、名号なり。一実真如の妙理、円満せるがゆえに、大宝海にたとえたまうなり。一実真如ともうすは、無上大涅槃なり。涅槃すなわち法性なり。法性すなわち如来なり。宝海ともうすは、よろずの衆生をきらわず、さわりなく、へだてず、みちびきたまうを、大海のみずのへだてなきにたとえたまえるなり。この一如宝海よりかたちをあらわして、法蔵菩薩となのりたまいて、無碍のちかいをおこしたまうをたねとして、阿弥陀仏となりたまうがゆえに、報身如来ともうすなり。これを尽十方無碍光仏となづけたてまつれるなり。この如来を南無不可思議光仏とももうすなり。この如来を方便法身とはもうすなり。方便ともうすは、