巻次 - 593頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 えり。正定聚に、信心の人は住し給えりとおぼしめし候いなば、行者のはからいのなきゆえに、義なきを義とすと、他力をば申すなり。善とも、悪とも、浄とも、穢とも、行者のはからいなきみとならせ給いて候えばこそ、義なきを義とすとは申すことにて候え。十七の願に、「わがなをとなえられん」とちかい給いて、十八の願に、「信心まことならば、もしうまれずは、仏にならじ」とちかい給えり。十七・十八の悲願みなまことならば、正定聚の願は、せんなく候うべきか。補処の弥勒におなじくらいに、信心の人は、ならせたまうゆえに、摂取不捨とはさだめられて候え。このゆえに、他力と申すは、行者のはからいのちりばかりもいらぬなり。かるがゆえに、義なきを義とすと申すなり。このほかにまたもうすべきことなし。ただ、仏にまかせまいらせ給えと、大師聖人のみことにて候え。十一月十八日 親鸞専信御坊御報 紙面画像を印刷 前のページ p593 次のページ 第二版p725へ このページの先頭に戻る