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ありしか。あなかしこ、あなかしこ。
 仏恩のふかきことは、懈慢・辺地に往生し、疑城・胎宮に往生するだにも、弥陀の御ちかいのなかに第十九・第二十の願の御あわれみにてこそ、不可思議のたのしみにあうことにて候え。仏恩のふかきことそのきわもなし。いかにいわんや、真実の報土へ往生して、大涅槃のさとりをひらかんこと、仏恩よくよく御安ども候うべし。これさらに、性信坊・親鸞がはからい申すにはあらず候う。ゆめゆめ。

建長七歳 乙卯 十月三日  愚禿親鸞八十三歳書之

(二) 一 この御ふみどもの様、くわしくみそうろう。また、さては慈信が法文の様ゆえに、常陸・下野の人々、念仏もうさせたまいそうろうことの、としごろうけたまわりたる様にはみなかわりおうておわしますときこえそうろう。かえすがえす、こころうくあさましくおぼえ候う。としごろ往生を一定とおおせられそうろう人々、慈信とおなじ様にそらごとをみなそうらいけるを、としごろふかくたのみまいらせてそうらいけること、かえすがえすあさましうそうろう。そのゆえは、往生の信心ともうすことは、一念もうたがうことのそうらわぬをこそ、往生一定とはおもいてそうらえ。光明寺の和尚の、信の様をおしえさせたまいそうろうには、「まことの信をさだめられてのちには、弥陀のごとくの仏、釈迦のごとくの仏、そらにみちみちて、釈迦のおしえ、弥陀の本願はひがごとなりとおおせらるとも、一念もうたがいあるべからず」とこそうけたまわりてそうらえば、その様をこそ、としごろもうしてそうろうに、慈信ほどのもののもうすことに、常陸・下野の念仏者のみな御こころどものうかれて、はては、さしもたしかなる証文を、ちからをつくしてかずあまたか