巻次 - 606頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 光にしょうごせられまいらせ候うゆえ、つねに浄土のごういん決定すとおおせられ候う。これめでたく候う。かくめでたくはおおせ候えども、これみなわたくしの御はからいになりぬとおぼえ候う。ただ不思議と信ぜさせ給い候いぬるうえは、わずらわしきはからいはあるべからず候う。また、ある人の候うなること、しゅっせのこころおおく、じょうどのごういんすくなしと候うなるは、こころえがたく候う。しゅっせと候うも、浄土のごういんと候うも、みな一にて候うなり。すべ候いて、これなまじいなる御はからいとぞんじ候う。仏智不思議と信ぜさせ給い候いなば、べちにわずらわしく、とかくの御はからいあるべからず候う。ただ人々のとかく申し候わんことをば、ごふしんあるべからず候う。ただ如来の誓願にまかせまいらせ給うべく候う。とかくの御はからいあるべからず候うなり。あなかしこ、あなかしこ。五月五日 親鸞(花押)しょうしんの御ぼうへ他力と申し候うは、とかくのはからいなきを申し候うなり。(一一) 四月七日の御ふみ五月二十六日たしかにみそうらいぬ。―――「御消息集(広本)」第一四通に同じ。(一二) たずねおおせられそうろう念仏の不審のこと。念仏往生と信ずるひとは、辺地の往生とてきらわれそうろうらんこと、おおかたこころえがたくそうろう。そのゆえは、弥陀の本願ともうすは、名号をとなえんものをば極楽へむかえんとちかわせたまいたるをふかく信じて、となうるがめでたきことにてそうろうなり。信心ありとも、名号をとなえざらんは、詮なくそうろう。また、一向、名号をとなうとも、信心あさくは、往生 紙面画像を印刷 前のページ p606 次のページ 第二版p742・743へ このページの先頭に戻る