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べし」とおおせありき。
7一 凡夫往生の事。
 おおよそ、凡夫の報土にいることをば、諸宗ゆるさざるところなり。しかるに、浄土真宗において、善導家の御こころ、安養浄土をば報仏報土とさだめ、いるところの機をばさかりに凡夫と談ず。このこと性相のみみをおどろかすことなり。さればかの性相に封ぜられて、ひとのこころ、おおくまよいて、この義勢におきて、うたがいをいだく。そのうたがいのきざすところは、かならずしも弥陀超世の悲願を、さることあらじと、うたがいたてまつるまではなけれども、わが身の分を卑下してそのことわりをわきまえしりて、聖道門よりは凡夫報土にいるべからざる道理をうかべて、その比量をもって、いまの真宗をうたがうまでの人はまれなれども、聖道の性相、世に流布するを、なにとなく耳にふれ、ならいたるゆえか、おおくこれにふせがれて、真宗別途の他力をうたがうこと、かつは無明に痴惑せられたるゆえなり、かつは明師にあわざるがいたすところなり。そのゆえは、浄土宗のこころ、もと凡夫のためにして聖人のためにあらずと云々 しかれば貪欲もふかく、瞋恚もたけく、愚痴もさかりならんにつけても、今度の順次の往生は、仏語に虚妄なければ、いよいよ必定とおもうべし。あやまってわがこころの三毒もいたく興盛ならず、善心しきりにおこらば、往生不定のおもいもあるべし。そのゆえは、凡夫のための願、と仏説分明なり。しかるに、わがこころ凡夫げもなくは、さては、われ凡夫にあらねば、この願にもれやせん、とおもうべきによりてなり。しかるに、われらが心、すでに貪・瞋・痴の三毒、みなおなじく具足す。これがためとて、おこさるる願なれば、往生その機として必定な