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るべしとなり。かくこころえつれば、こころのわろきにつけても、機の卑劣なるにつけても、往生せずは、あるべからざる道理、文証勿論なり。いずかたよりか凡夫の往生もれてむなしからんや。しかればすなわち、五劫の思惟も兆載の修行も、ただ親鸞一人がためなり、とおおせごとありき。
 わたくしにいわく、これをもってかれを案ずるに、この条、祖師聖人の御ことにかぎるべからず。末世のわれら、みな凡夫たらんうえは、またもって往生おなじかるべしとしるべし。
8一 一切経御校合の事。
 西明寺の禅門の父、修理亮時氏、政徳をもっぱらにせしころ、一切経を書写せられき。これを校合のために、智者学生たらん僧を屈請あるべしとて、武藤左衛門入道 実名を知らず 、ならびに、屋戸やの入道 実名を知らず 両大名におおせつけて、たずねあなぐられけるとき、ことの縁ありて聖人をたずねいだしたてまつりき。 もし常陸の国笠間郡稲田郷に御経回の比か 聖人その請に応じましまして、一切経御校合ありき。その最中、副将軍、連連昵近したてまつるに、あるとき盃酌のみぎりにして、種々の珍物をととのえて、諸大名面々、数献の沙汰におよぶ。聖人、別して勇猛精進の僧の威儀をただしくしましますことなければ、ただ世俗の入道、俗人等におなじき御振舞なり。よって、魚鳥の肉味等をもきこしめさるること、御はばかりなし。ときに鱠を御前に進ず。これをきこしめさるること、つねのごとし。袈裟を御着用ありながらまいるとき、西明寺の禅門、ときに開寿殿とて、九歳、さしよりて聖人の御耳に密談せられていわく、「あの入道ども面々魚食のときは袈裟をぬぎてこれを食す。善信御房、いかなれば袈裟を御着用ありながら食しましますぞや。これ不審」と云々