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聖人おおせられていわく、「あの入道達はつねにこれをもちいるについて、これを食するときは袈裟をぬぐべきことと、覚悟のあいだ、ぬぎてこれを食するか。善信はかくのごときの食物邂逅なれば、おおけていそぎたべんとするにつきて、忘却してこれをぬがず」と云々 開寿殿、またもうされていわく、「この御答、御偽言なり。さだめてふかき御所存あるか。開寿、幼稚なればとて、御蔑如にこそ」とて、のきぬ。またあるとき、さきのごとくに袈裟を御着服ありながら御魚食あり。また、開寿殿、さきのごとくにたずねもうさる。聖人また御忘却とこたえまします。そのとき開寿殿、「さのみ御廃忘あるべからず。これしかしながら幼少の愚意深義をわきまえしるべからざるによりて、御所存をのべられざるものなり。まげてただ実義を述成あるべし」と再三こざかしくのぞみもうされけり。そのとき聖人のがれがたくして、幼童に対して、しめしましましていわく、「まれに人身をうけて生命をほろぼし、肉味を貪ずる事、はなはだ、しかるべからざることなり。されば如来の制誡にも、このこと、ことにさかんなり。しかれども、末法濁世の今時の衆生無戒のときなれば、たもつものもなく、破するものもなし。これによりて、剃髪染衣のそのすがた、ただ世俗の群類にこころおなじきがゆえに、これらを食す。とても食する程ならば、かの生類をして解脱せしむるようにこそ、ありたくそうらえ。しかるに、われ名字を釈氏にかるといえども、こころ俗塵にそみて、智もなく、徳もなし。なにによりてか、かの有情をすくうべきや。これによりて袈裟はこれ、三世の諸仏解脱幢相の霊服なり。これを着用しながら、かれを食せば、袈裟の徳用をもって、済生利物の願念をやはたすと、存じて、これを着しながら、かれを食する物なり。冥衆の照覧をあおぎて、人倫の所見をはばからざること、かつは無慚無愧のはなはだしき