巻次 - 803頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 食しましますぞや。これ不審」と云々 聖人おおせられていわく、「あの入道達はつねにこれをもちいるについて、これを食するときは袈裟をぬぐべきことと覚悟のあいだ、ぬぎてこれを食するか。善信はかくのごときの食物邂逅なれば、おおけていそぎたべんとするにつきて、忘却してこれをぬがず」と云々 開寿殿、またもうされていわく、「この御答、御偽言なり。さだめてふかき御所存あるか。開寿、幼稚なればとて、御蔑如にこそ」とて、のきぬ。またあるとき、さきのごとくに袈裟を御着服ありながら御魚食あり。また、開寿殿、さきのごとくにたずねもうさる。聖人また御忘却とこたえまします。そのとき開寿殿、「さのみ御廃忘あるべからず。これしかしながら、幼少の愚意、深義をわきまえしるべからざるによりて、御所存をのべられざるものなり。まげてただ実義を述成あるべし」と再三こざかしくのぞみもうされけり。そのとき聖人のがれがたくして、幼童に対して、しめしましましていわく、「まれに人身をうけて生命をほろぼし、肉味を貪ずる事、はなはだしかるべからざることなり。されば如来の制誡にも、このこと、ことにさかんなり。しかれども、末法濁世の今の時の衆生、無戒のときなれば、たもつものもなく、破するものもなし。これによりて、剃髪染衣のそのすがた、ただ世俗の群類にこころおなじきがゆえに、これらを食す。とても食する程ならば、かの生類をして解脱せしむるようにこそ、ありたくそうらえ。しかるに、われ名字を釈氏にかるといえども、こころ俗塵にそみて、智もなく、徳もなし。なにによりてか、かの有情をすくうべきや。これによりて袈裟はこれ、三世の諸仏解脱幢相の霊服なり。これを着用 紙面画像を印刷 前のページ p803 次のページ 初版p657・658へ このページの先頭に戻る