巻次 - 802頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 証勿論なり。いずかたよりか凡夫の往生もれてむなしからんや。しかればすなわち、「五劫の思惟も兆載の修行も、ただ親鸞一人がためなり」とおおせごとありき。 わたくしにいわく、これをもってかれを案ずるに、この条、祖師聖人の御ことにかぎるべからず。末世のわれら、みな凡夫たらんうえは、またもって往生おなじかるべしとしるべし。(8)一 一切経御校合の事。 西明寺の禅門の父、修理亮時氏、政徳をもっぱらにせしころ、一切経を書写せられき。これを校合のために、智者・学生たらん僧を屈請あるべしとて、武藤左衛門入道 実名を知らず、ならびに、屋戸やの入道 実名を知らず、両大名におおせつけて、たずねあなぐられけるとき、ことの縁ありて聖人をたずねいだしたてまつりき もし常陸国笠間郡稲田郷に御経回の比か。聖人その請に応じましまして、一切経御校合ありき。その最中、副将軍、連々昵近したてまつるに、あるとき盃酌のみぎりにして、種々の珍物をととのえて、諸大名面々、数献の沙汰におよぶ。聖人、別して勇猛精進の僧の威儀をただしくしましますことなければ、ただ世俗の入道、俗人等におなじき御振舞なり。よって、魚鳥の肉味等をもきこしめさるること、御はばかりなし。ときに鱠を御前に進ず。これをきこしめさるること、つねのごとし。袈裟を御着用ありながらまいるとき、西明寺の禅門、ときに開寿殿とて、九歳、さしよりて聖人の御耳に密談せられていわく、「あの入道ども面々魚食のときは袈裟をぬぎてこれを食す。善信の御房、いかなれば袈裟を御着用ありながら 紙面画像を印刷 前のページ p802 次のページ 初版p657へ このページの先頭に戻る