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おいて、善導家の御こころ、安養浄土をば報仏報土とさだめ、いるところの機をば、さかりに凡夫と談ず。このこと性相のみみをおどろかすことなり。さればかの性相に封ぜられて、ひとのこころ、おおくまよいて、この義勢におきて、うたがいをいだく。そのうたがいのきざすところは、かならずしも弥陀超世の悲願を、さることあらじと、うたがいたてまつるまではなけれども、わが身の分を卑下して、そのことわりをわきまえしりて、聖道門よりは、凡夫、報土にいるべからざる道理をうかべて、その比量をもって、いまの真宗をうたがうまでの人はまれなれども、聖道の性相、世に流布するを、なにとなく耳にふれ、ならいたるゆえか。おおくこれにふせがれて、真宗別途の他力をうたがうこと、かつは無明に痴惑せられたるゆえなり。かつは明師にあわざるがいたすところなり。そのゆえは、浄土宗のこころ、もと凡夫のためにして聖人のためにあらずと云々 しかれば貪欲もふかく、瞋恚もたけく、愚痴もさかりならんにつけても、今度の順次の往生は、仏語に虚妄なければ、いよいよ必定とおもうべし。あやまってわがこころの三毒もいたく興盛ならず、善心しきりにおこらば、往生不定のおもいもあるべし。そのゆえは、凡夫のための願と、仏説分明なり。しかるに、わがこころ凡夫げもなくは、さては、われ凡夫にあらねば、この願にもれやせんと、おもうべきによりてなり。しかるに、われらが心、すでに貪・瞋・痴の三毒、みなおなじく具足す。これがためとて、おこさるる願なれば、往生その機として必定なるべしとなり。かくこころえつれば、こころのわろきにつけても、機の卑劣なるにつけても、往生せずは、あるべからざる道理、文