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713頁
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たり。平生に法をききて畢命を期とせんひと、あながちに十念をこととすべからず。さればとて十念を非するにはあらず。ただ、おおくも、すくなくも、ちからのたえんにしたがいて行ずべし。かならずしもかずをさだむべきにあらずとなり。いわんや、聖人の釈義のごとくは、一念といえるについて、行の一念と信の一念とをわけられたり。いわゆる「行の一念」をば真実行のなかにあらわして、「行の一念というは、いわく、称名の遍数について選択易行の至極を顕開す」といい、「信の一念」をば真実信のなかにあらわして、「信楽に一念あり、一念というは、これ、信楽開発の時剋の極促をあらわし、広大難思の慶心をあらわす」といえり。かみにいうところの十念・一念は、みな行について論ずるところなり。信心についていわんときは、ただ一念開発の信心をはじめとして一念の疑心をまじえず、念念相続してかの願力の道に乗ずるがゆえに、名号をもってまったくわが行体とさだむべからざれば、「十念」とも、「一念」ともいうべからず。ただ他力の不思議をあおぎ、法爾往生の道理にまかすべきなり。
 問うていわく、来迎は念仏の益なるべきこと経釈ともに歴然なり。したがいて、諸流みなこの義を存せり。しかるに来迎をもって諸行の益とせんこと、すこぶる浄土宗の本意にあらざるをや。
 こたえていわく、あにさきにいわずや、この義はこれ、わが一流の所談なりとは。他流の義をもって当流の義を難ずべからず。それ、経釈の文においては自他ともに依用す。ただ料簡のまちまちなるなり。まず、来迎をとくことは、第十九の願にあり。かの願文をあきらめて、こころうべし。その願にいわく、「設我得仏 十方衆生 発菩提心 修諸功徳 至心発願 欲生我国 臨寿終時 仮令不与 大衆囲繞 現其人前者 不