巻次 第四帖 816頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 常のかぜきたらんことをば、しらぬ体にてすぎゆきて、後生をばかつてねがわず、ただ今生をばいつまでもいきのびんずるようにこそ、おもいはんべれ。あさましというもなおおろかなり。いそぎ今日より弥陀如来の他力本願をたのみ、一向に無量寿仏に帰命して、真実報土の往生をねがい、称名念仏せしむべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。于時文明九年九月十七日、俄思出之間、辰剋已前早々書記之訖信証院 六十三歳かきおくも ふでにまかする ふみなれば ことばのすえぞ おかしかりける3 それ、当時世上の体たらく、いつのころにか落居すべきともおぼえはんべらざる風情なり。しかるあいだ、諸国往来の通路にいたるまでも、たやすからざる時分なれば、仏法・世法につけても、千万迷惑のおりふしなり。これによりて、あるいは霊仏・霊社参詣の諸人もなし。これにつけても、人間は老少不定ときくときは、いそぎいかなる功徳善根をも修し、いかなる菩提涅槃をもねがうべきことなり。しかるにいまの世も末法濁乱とはいいながら、ここに阿弥陀如来の他力本願は、いまの時節はいよいよ不可思議にさかりなり。さればこの広大の悲願にすがりて、在家止住のともがらにおいては、一念の信心をとりて、法性常楽の浄刹に往生せずは、まことにもって、たからの山にいりて手をむなしくしてかえらんににたるものか。よくよくこころをしずめてこれを案ずべし。しかれば、諸仏の本願をくわしくたずぬるに、五障の女人、五逆の悪人をば、すくいたまうことかなわずときこえたり。これにつけても、阿弥陀如来こそ、ひとり無上殊勝の願をおこして、悪逆の 紙面画像を印刷 前のページ p816 次のページ 第二版p982・983へ このページの先頭に戻る