巻次 第四帖 982頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 なる身なれば、いまも無常のかぜきたらんことをば、しらぬ体にてすぎゆきて、後生をば、かつてねがわず、ただ今生をば、いつまでもいきのびんずるようにこそ、おもいはんべれ。あさましというも、なおおろかなり。いそぎ今日より弥陀如来の他力本願をたのみ、一向に無量寿仏に帰命して、真実報土の往生をねがい、称名念仏せしむべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。時に文明九年九月十七日、俄に思い出ずるの間、辰の剋已前に早々之を書き記し訖りぬ。信証院 六十三歳かきおくも ふでにまかする ふみなれば ことばのすえぞ おかしかりける(三) 夫れ、当時世上の体たらく、いつのころにか落居すべきともおぼえはんべらざる風情なり。しかるあいだ、諸国往来の通路にいたるまでも、たやすからざる時分なれば、仏法・世法につけても、千万迷惑のおりふしなり。これによりて、あるいは霊仏・霊社参詣の諸人もなし。これにつけても、人間は老少不定ときくときは、いそぎいかなる功徳善根をも修し、いかなる菩提涅槃をもねがうべきことなり。しかるにいまの世も末法濁乱とはいいながら、ここに阿弥陀如来の他力本願は、いまの時節はいよいよ不可思議にさかりなり。さればこの広大の悲願にすがりて、在家止住のともがらにおいては、一念の信心をとりて、法性常楽の浄刹に往生せずは、まことにもって、たからの山にいりて、手をむなしくしてかえらんににたるものか。よくよくこころをしずめてこれを案ずべし。しかれば、諸仏の本願をくわしくたずぬるに、五障の女人、五逆の悪人をば、すくいたまうことか 紙面画像を印刷 前のページ p982 次のページ 初版p815・816へ このページの先頭に戻る