巻次 第四帖 981頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 すべし。しかれば近代当流の仏法者の風情は、是非の分別なく、当流の義を荒涼に讃嘆せしむるあいだ、真宗の正意、このいわれによりてあいすたれたりときこえたり。かくのごときらの次第を委細に存知して、当流の一義をば讃嘆すべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。文明九年 丁酉 正月八日(二) 夫れ、人間の寿命をかぞうれば、いまのときの定命は五十六歳なり。しかるに当時において、年五十六までいきのびたらんひとは、まことにもっていかめしきことなるべし。これによりて、予すでに頽齢六十三歳にせまれり。勘篇すれば、年は、はや七年までいきのびぬ。これにつけても前業の所感なれば、いかなる病患をうけてか死の縁にのぞまんとおぼつかなし。これさらに、はからざる次第なり。ことにもって当時の体たらくをみおよぶに、定相なき時分なれば、人間のかなしさは、おもうようにもなし。あわれ、死なばやとおもわば、やがて死なれなん世にてもあらば、などかいままでこの世にすみはんべりなん。ただいそぎてもうまれたきは極楽浄土、ねごうてもねがいえんものは無漏の仏体なり。しかれば、一念帰命の他力安心を、仏智より獲得せしめん身のうえにおいては、畢命為期まで、仏恩報尽のために称名をつとめんにいたりては、あながちになにの不足ありてか、先生よりさだまれるところの死期をいそがんも、かえりておろかにまどいぬるかともおもいはんべるなり。このゆえに、愚老が身上にあててかくのごとくおもえり。たれのひとびとも、この心中に住すべし。ことにもって、この世界のならいは、老少不定にして、電光朝露のあだ 紙面画像を印刷 前のページ p981 次のページ 初版p815へ このページの先頭に戻る