巻次
第五帖
842頁
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16 それ、人間の浮生なる相をつらつら観ずるに、おおよそはかなきものは、この世の始中終、まぼろしのごとくなる一期なり。されば、いまだ万歳の人身をうけたりという事をきかず。一生すぎやすし。いまにいたりてたれか百年の形体をたもつべきや。我やさき、人やさき、きょうともしらず、あすともしらず、おくれさきだつ人は、もとのしずく、すえの露よりもしげしといえり。されば朝には紅顔ありて夕べには白骨となれる身なり。すでに無常の風きたりぬれば、すなわちふたつのまなこたちまちにとじ、ひとつのいきながくたえぬれば、紅顔むなしく変じて、桃李のよそおいをうしないぬるときは、六親眷属あつまりてなげきかなしめども、更にその甲斐あるべからず。さてしもあるべき事ならねばとて、野外におくりて夜半のけぶりとなしはてぬれば、ただ白骨のみぞのこれり。あわれというも中々おろかなり。されば、人間のはかなき事は、老少不定のさかいなれば、たれの人もはやく後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏をふかくたのみまいらせて、念仏もうすべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
17 それ、一切の女人の身は、後生を大事におもい、仏法をとうとくおもう心あらば、なにのようもなく、阿弥陀如来をふかくたのみまいらせて、もろもろの雑行をふりすてて、一心に、後生を御たすけ候えと、ひしとたのまん女人は、かならず極楽に往生すべき事、さらにうたがいあるべからず。かようにおもいとりてののちは、ひたすら弥陀如来のやすく御たすけにあずかるべき事の、ありがたさ、またとうとさよと、ふかく信じて、ねてもさめても、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と申すべきばかりなり。これを、信心とりたる念仏者とは申すものなり。あなかしこ、あなかしこ。