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より、わたをつつみひろげたるようなるうちより、上様あらわれ御出あるとおがみもうすところに、御相好、開山聖人にておわします。あら不思議やとおもい、やがて、御厨子のうちをおがみもうせば、聖人、御坐なし。さては開山聖人、上様に現じましまして、御一流を御再興にて御坐候うと、もうしいだすべきと存ずるところに、慶聞坊の讃嘆に、聖人の御流義、「たとえば、木石の、縁をまちて火を生じ、瓦礫の、𨥉をすりて玉をなすがごとし」と、『御私記』のうえを讃嘆あるとおぼえて、ゆめさめてそうろう。さては開山聖人の御再誕と、それより信仰もうすことにそうらいき。
13一 教化するひと、まず信心をよく決定して、そのうえにて聖教をよみかたらば、きくひとも信をとるべし。
14一 仰せに、「弥陀をたのみて御たすけを決定して、御たすけのありがたさよとよろこぶこころあれば、そのうれしさに念仏もうすばかりなり。すなわち仏恩報謝なり。」
15一 大津近松殿に対しましまして、仰せられ候う。「信心をよく決定して、ひとにもとらせよ」と、仰せそうらいき。
16一 十二月六日に富田殿へ御下向にて候うあいだ、五日の夜は大勢御前へまいりそうろうに、仰せに、「今夜はなにごとにひとおおくきたりたるぞ」と。順誓もうされ候うは、「まことに、このあいだの御聴聞もうし、ありがたさの御礼のため。また、明日御下向にて御座そうろう。御目にかかりもうすべしかのあいだ、歳末の御礼のためならん」と、もうしあげられけり。そのとき、仰せに、「無益の歳末の礼かな。歳末の礼には、信