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しえたまえり。ひめもすにあそびたわぶるるは、散乱増のものなり。よもすがらねぶるは、睡眠増のものなり。これみな煩悩の所為なり。たちがたく伏しがたし。あそびやまば念仏をとなえ、ねぶりさめば本願をおもいいずべし。専修の行にそむかず。一万遍をとなえて、そののちに他経・他仏を持念せんは、うちきくところたくみなれども、念仏、たれか一万遍にかぎれとさだめし。精進の機ならば、ひめもすにとなうべし。念珠をとらば、弥陀の名号をとなうべし。本尊にむかわば、弥陀の形像にむかうべし。ただちに弥陀の来迎をまつべし。なにのゆえか、八菩薩の示路をまたん。もっぱら本願の引導をたのむべし。わずらわしく、一乗の功能をかるべからず。行者の根性に上・中・下あり。上根のものは、よもすがら、ひぐらし、念仏をもうすべし。なにのいとまにか、余仏を念ぜん。ふかくこれをおもうべし。みだりがわしくうたがうべからず。
つぎに、念仏をもうさんには、三心を具すべし。ただ名号をとなうることは、たれの人か一念・十念の功をそなえざる。しかはあれども、往生するものは、きわめてまれなり。これすなわち三心
