巻次 - 1151頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 横川法語(念仏法語) 夫れ、一切衆生、三悪道をのがれて、人間にうまるる事、大きなるよろこびなり。身はいやしくとも畜生におとらんや、家まずしくとも、餓鬼にはまさるべし。心におもう事かなわずとも、地獄の苦しみにはくらぶべからず。世のすみうきは、いとうたよりなり。人かずならぬ身のいやしきは、菩提をねがうしるべなり。このゆえに、人間にうまるる事をよろこぶべし。信心あさくとも、本願ふかきがゆえに、たのめば必ず往生す。念仏ものうけれども、唱うればさだめて来迎にあずかる。功徳莫大なり。このゆえに、本願にあう事をよろこぶべし。又、妄念はもとより凡夫の地体なり。妄念の外に別の心もなきなり。臨終の時までは、一向に妄念の凡夫にてあるべきぞとこころえて念仏すれば、来迎にあずかりて蓮台にのるときこそ、妄念をひるがえしてさとりの心とはなれ。妄念のうちより申しいだしたる念仏は、濁りにしまぬ蓮のごとくにして、決定往生うたがい有るべからず。妄念をいとわずして、信心のあさきをなげき、こころを深くして、常に名号をとなうべし。 紙面画像を印刷 前のページ p1151 次のページ 初版p961へ このページの先頭に戻る