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り。
 又云わく(論註)、「「是心作仏」(観経)は、言うこころは、心、能く作仏するなり。「是心是仏」(同)は、心の外に仏無さずとなり。譬えば、火、木より出でて、火、木を離るることを得ざるなり。木を離れざるを以ての故に、則ち能く木を焼く。木、火の為に焼かれて、木即ち火と為るが如きなり。」
 光明(善導)の云わく(定善義)、「是の心作仏す。是の心、是れ仏なり。是の心の外に異仏無さず」とのたまえり。已上

 故に知りぬ。一心、是れを「如実修行相応」と名づく。即ち是れ正教なり、是れ正義なり、是れ正行なり、是れ正解なり、是れ正業なり、是れ正智なり。三心即ち一心なり。一心即ち金剛真心の義、答え竟りぬ。知るべしと。

 『止観』の一に云わく、「「菩提」は、天竺の語、此には「道」と称す。「質多」は天竺の音なり、此の方には「心」と云う。「心」は即ち慮知なり。」已上

 「横超断四流」と言うは、「横超」は、「横」は竪超・竪出に対す。「超」は、迂に対し、回に対するの

漢文

故知。一心是名如実修行相応。即是正教、是正義、是正行、是正解、是正業、是正智也。三心即一心。一心即金剛真心之義、答竟。可知。


言横超断四流者、横超者、横者対竪超竪出。超者対迂、対回之言。竪超者大乗