巻次 - 774頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 われらがためには最上の法にてまします。たとい自余の教法はすぐれたりとも、みずからがためには器量およばざれば、つとめがたし。われもひとも、生死をはなれんことこそ、諸仏の御本意にておわしませば、御さまたげあるべからずとて、にくい気せずは、たれのひとかありて、あたをなすべきや。かつは、「諍論のところにはもろもろの煩悩おこる、智者遠離すべき」よしの証文そうろうにこそ。 故聖人(親鸞)のおおせには、「この法をば信ずる衆生もあり、そしる衆生もあるべしと、仏ときおかせたまいたることなれば、われはすでに信じたてまつる。またひとありてそしるにて、仏説まことなりけりとしられそうろう。しかれば往生はいよいよ一定とおもいたまうべきなり。あやまって、そしるひとのそうらわざらんにこそ、いかに信ずるひとはあれども、そしるひとのなきやらんとも、おぼえそうらいぬべけれ。かくもうせばとて、かならずひとにそしられんとにはあらず。仏の、かねて信謗ともにあるべきむねをしろしめして、ひとのうたがいをあらせじと、ときおかせたまうことをもうすなり」とこそそうらいしか。 いまの世には学文して、ひとのそしりをやめ、ひとえに論義問答むねとせんとかまえられそうろうにや。学問せば、いよいよ如来の御本意をしり、悲願の広大のむねをも存知して、いやしからん身にて往生はいかが、なんどとあやぶまんひとにも、本願には善悪浄穢なきおもむきをも、とききかせられそうらわばこそ、学生のかいにてもそうらわめ。たまたま、なにごころもなく、本願に相 紙面画像を印刷 前のページ p774 次のページ 初版p632へ このページの先頭に戻る