巻次
第二帖
949頁
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夫、五障三従の女人をば、弥陀にかぎりて、われひとりたすけんという超世の大願をおこして、われら一切衆生を平等にすくわんとちかいたまいて、無上の誓願をおこして、すでに阿弥陀仏となりましましけり。この如来をひとすじにたのみたてまつらずは、末代の凡夫、極楽に往生するみち、二つも三つもあるべからざるものなり。これによりて、親鸞聖人のすすめましますところの他力の信心ということを、よく存知せしめんひとは、かならず十人は十人ながら、みなかの浄土に往生すべし。
 さればこの信心をとりて、かの弥陀の報土にまいらんとおもうについて、なにとようにこころをももちて、なにとようにその信心とやらんをこころうべきや。ねんごろにこれをきかんとおもうなり。
 こたえていわく、それ当流親鸞聖人のおしえたまえるところの他力信心のおもむきというは、なにのようもなく、わが身はあさましきつみふかき身ぞとおもいて、弥陀如来を一心一向にたのみたてまつりて、もろもろの雑行をすてて専修専念なれば、かならず遍照の光明のなかにおさめとられまいらするなり。これまことにわれらが往生の決定するすがたなり。このうえになおこころうべきようは、一心一向に弥陀に帰命する一念の信心によりて、はや往生治定のうえには、行住座臥にくちにもうさんところの称名は、弥陀如来のわれらが往生をやすくさだめたまえる大悲の御恩を報尽の念仏なりとこころうべきなり。これすなわち当流の信心を決定したるひとというべきなり。あなかしこ、あなかしこ。