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他の勝徳を破す。四つには、顚倒の善果よく梵行を壊す。五つには、ただこれ自力にして他力の持つなし。これ等のごときの事、目に触るるにみな是なり。たとえば、陸路の歩行はすなわち苦しきがごとし。「易行道」は、いわく、ただ信仏の因縁をもって浄土に生まれんと願ず。仏願力に乗じて、すなわちかの清浄の土に往生を得しむ。仏力住持して、すなわち大乗正定の聚に入る。正定はすなわちこれ阿毘跋致なり。たとえば、水路に船に乗じてすなわち楽しきがごとし。この『無量寿経優婆提舎』は、けだし上衍の極致、不退の風航なるものなり。「無量寿」はこれ安楽浄土の如来の別号なり。釈迦牟尼仏、王舎城および舎衛国にましまして、大衆の中にして、無量寿仏の荘厳功徳を説きたまう。すなわち、仏の名号をもって経の体とす。後の聖者・婆藪槃頭菩薩、如来大悲の教を服膺 一升の反 して、経に傍えて願生の偈を作れり、と。已上
 また云わく、また所願軽からず。もし如来、威神を加せずは、まさに何をもってか達せん。神力を乞加す。このゆえに仰いで告げたまえり。「我一心」は、天親菩薩の自督の詞なり。言うこころは、無碍光如来を念じて安楽に生まれんと願ず。心心相続して他想間雑なし。乃至 「帰命尽十方無碍光如来」は、「帰命」はすなわちこれ礼拝門なり、「尽十方無碍光如来」はすなわちこれ讃嘆門なり。何をもってか知らん、帰命はこれ礼拝なりとは。龍樹菩薩、阿弥陀如来の讃を造れる中に、あるいは「稽首礼」と言い、あるいは「我帰命」と言い、あるいは「帰命礼」と言えり。この『論』の長行の中に、また「五念門を修す」と言えり。五念門の中に、礼拝はこれ一なり。天親菩薩すでに往生を願ず、あに礼せざるべけんや。かるがゆえに知りぬ、帰命すなわちこれ礼拝なりと。しかるに礼拝はただこれ恭敬にして、必ずしも帰命ならず。帰命は(必ず)これ礼拝なり。